私は現在23歳で、1歳年上の男性と一緒に暮らしています。

 

 

 

私は過去の経験から「付き合う」や「彼氏(彼女)」といった名前にこだわることに疑問を抱いています。そのため、私とパートナーは、お互いの関係性に名前を付けていません。

 

 

ですが、よそで話題になった時に呼び名がないのは困るので、性別や関係にこだわらない平等な言葉である「パートナー」という呼び名を使っています。

 

 

 

世間とは少し違った考え方をする私と、それを受けいれてくれるパートナーは、生活も世間とは少し異なります。

 

 

 

現在の生活スタイルについて 

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私のパートナーは主夫です。

 

 

 

平日は毎日部屋の掃除、洗濯、食器の洗い物、料理をしてくれます。

 

 

 

一方、私は派遣の事務をしながらWebライターをしています。

 

 

 

週5日8時間のフルタイムで働いて、休日は時間を見てライターの仕事をしています。生活費はほぼ100%私の収入で賄われています。買い物を頼んだ時に足りなかった分をパートナーが出す程度です。

 

 

 

お小遣いは各自で稼ぐことになっているので、パートナーは在宅バイトをしたり友人の仕事をたまに手伝ったりしています。

 

 

 

家事の分担はパートナーが平日、私が休日という風に分けていますが、実際のところ二人とも家にいるときはできる方がやるといった感じです。

 

 

 

パートナーは料理が苦手なので、簡単に作れるパスタやチャーハンがほとんどです。

私も疲れていてあまり手伝えないですし、食費も高くなってしまうので早くて安い食事はありがたいです。

 

 

 

 

休日になると、毎週土曜日は決まって全部屋をすみずみまでキレイにしているので、掃除する場所を分担しています。

 

 

 

掃除機をかけるのはパートナーで、トレイやキッチンやお風呂場の細かい掃除は私がします。掃除をしている間に洗濯機を回すので、掃除が終わったころに二人で手分けして洗濯物を干します。

 

 

 

 

私はレシピさえあれば料理できるので、休日は私がその日の食事と、パートナーが平日の昼間に食べる用の野菜の煮物をまとめて作ります。

 

同棲生活を始めた当初

 

同棲を始めた当初は、できないからとソファで座って待っていたパートナーですが、次第にできそうなことはやると言って一緒にキッチンに立って手伝ってくれるようになりました。

 

 

野菜の皮むきから始め、野菜を切り、今では調味料の指示をしたらその通りに入れて煮込んでくれます。

 

 

 

一度にたくさんの品を作るため、最短ルートで順序を立てて作っていくのですが、パートナーが手伝ってくれるようになってから時間が半分くらいになった気がします。

 

 

 

何年も同じレシピなのに一向に覚えられない私よりもパートナーは記憶力がいいので、もしかしたら料理も全てパートナーがこなしてしまう日が来るかもしれませんね…。

 

 

 

 日頃思うこと

 

私がパートナーとの暮らしで気を付けていることは、「平等」です。

 

 

 

外で働いている側なので私の方が疲れている!とは絶対に思わないようにしています。私は長く一人暮らしをしていたので家事はすべてやってきましたが、私にとっては特に掃除が重労働です。

 

 

 

なのでそれを快く引き受けてくれるパートナーには頭が上がりません。

 

 

 

休日は日頃の感謝を込めて少しでもゆっくりしてほしいと思って動くようにはしているのですが、上記の通り、最近はパートナーがかなり積極的に動いてくれるので私の出番はほとんどなくなってしまいました。

 

 

 

ですが、協力作業が増えたことによって以前よりずっと仲良しになった気がします。

 

 

料理の待ち時間に好きな音楽をかけて一緒に踊ったりすることもあって本当に毎日が楽しいです。

 

 

 

 

主夫を希望し、それを受入れたパートナー

 

パートナーには一般男性と違った道を歩ませてしまっていると責任を感じた時もありましたが、彼は私の考えを尊重し、自身もこの暮らしを気に入っていると言ってくれています。

 

 

“世の男性”は社会に出て働き、家族を守るのが一般的ですが、私はそのような“世の男性”に憧れています。

 

 

 

私自身が“世の男性”のように働いて家族を守りたいと思っています。

 

 

 

私は派遣社員なので収入は正社員に比べて劣ってしまうため、時々不安になることもありますが、パートナーは会社に属することなく一人で稼ぐ術を知っている人なので、「もしも私が働けなくなったときはよろしく」と頼んでいます。

 

 

 

大黒柱として正社員になることを考えたことはありますが、私が今まで働いてきた職場では正社員は収入の安定と引き換えに拘束される時間が長いので断念しました。

 

 

 

私はパートナーを守る手段として仕事をしていますが、もしも正社員になり、キャリアアップしていくことによってパートナーに安定した暮らしをさせてあげられたとしても、心も体も癒す時間がなければ限界が来ます。

 

 

心身ともに健全であるために私は仕事ではなくプライベートの時間を優先しています。

 

 

子どもの事

 

働く女性と主夫である男性というと必ず壁となるのが出産・育児です。

 

 

パートナーと将来の話をしたときにももちろん話題になりましたが、幸いなことに二人とも子供を望みませんでした。

 

 

 

パートナーは子供が苦手で、私は精神があまり強くなく、すぐにノイローゼになってしまうことからこのような結論に至りました。

 

 

 

 

私は、目の前に子供や動物がいたらつい世話を焼いてしまうのですが、それが毎日強制的にしなければならないとなると話は変わってきます。

 

 

 

以前実家の犬を一時的に預かっていた時があるのですが、それだけでノイローゼになって泣きながら早く帰ってほしいと言っていました。

 

 

 

犬は大好きで、散歩しているのを見かけると声をかけてしまうくらいなのですが、私にはとても世話をしきれませんでした。

 

 

無責任なことをするくらいなら初めからやらない方がいいと思う良いきっかけとなりました。

 

 

 

このような経験から、犬でさえできなかったことを人間の子供にできるわけがないという考えになり、私は子供を持たないことを心に決めました。

 

 

 

私の産まれ育った環境について 

 

私が産まれ育った家庭は教師の母と、会社勤めの父、姉の4人家族です。

 

 

母は父の収入を超えるほどの働く女性でしたが、私の出産を期に専業主婦になりました。

 

 

 

子育てが一段落した後、以前の職場に復帰するほどに働くことが好きですが、母は私の暮らしにはいまだに納得していません。

 

 

 

専業主婦だったこともあり、「共働きであろうと、男は外で働き女を守るということが普通」という考えだそうです。

 

 

 

私の性格をよく理解しているので子供に関しては納得してくれていますが、私がパートナーを養うことに関してだけはどうしても理解できないと言っていました。

 

 

パートナーのことを打ち明けた時には、「女を守る気がない甲斐性なし」「将来を考えていない」「あなたは利用されているだけでは」と言われました。

 

 

 

母にとって私はすべてにおいて普通とは違った人生なのだと思います。

 

 

 

ですが、私は普通とは違った人生を送ることによって普通では感じることのできないことをたくさん感じました。

 

 

普通ではない=少数派の肩身の狭さ、誰かに相談することができない辛さ。

 

 

 

少数派であるというだけでなぜどこに行っても批判されなければならないのかと私は思います。血の繋がりのある親からすらも、認めてもらうことができないというのは、辛いものがあります。

 

 

 

父とはパートナーとの暮らしを面と向かって話したことはありませんが、私が以前帰省した時に「大切な人を守るために働く。だからどうしても働き詰めになってしまう理由が今ならわかる。」と話すと、父は少し驚いていました。

 

 

 

私は幼い頃、いつも家にいない父と仲が悪かったのですが、今なら父がどういう気持ちで仕事をしていたのか、よくわかります。

 

 

母だけではなく、私たちのことも外で守っていたのだと思います。

 

 

 

大切な人ができた時に初めて気づけるのだと、心の底から思いました。

 

 

 

私はもしかしたら父のようになりたかったのかもしれません。

 

 

 

10年後に私たちはどんな暮らしをしているかはわかりませんが、私としてはこれからもこの暮らしを続けていきたいと思っています。

 

 

もしもパートナーが外で働きたいという日が来れば、私はそれを受け入れるでしょう。

 

 

 

仕事や家事は本来協力して行うものです。

 

 

 

誰かと一緒に暮らすということはそれだけで幸せなものだと思います。

それを家事や仕事が原因で不仲になるのはとてももったいないことです。

 

 

 

片方が働いているならば休日くらいは手分けをしたらいいと思いますし、共働きならばできる方ができる時にしたらいいと思います。大切なのはこの生活はどちらか一方の力のみでできているわけではないことです。

 

それに気づくだけでもより幸せを感じることができたのかもしれません。