私の仕事はヨガのインストラクターです。年齢は52歳、夫は55歳のデザイン会社経営です。結婚したのは私が27歳の時ですから、今年で結婚25年になります。
先日ヨガの生徒(Aさん)から、私たち夫婦のライフスタイルについてお話をする機会がありましたので、後記録としてお伝え出来ればと思います。
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30代の子無し新婚夫婦Aさんについて
Aさんは30代の女性で結婚なさったばかり。以前から子供を産む気はなくて、結婚してもその気持ちは変わらないそうです。
しかしAさんと同い年のご主人はまだ気持ちがはっきりせず、将来子供が欲しくなることもあるかもしれないとのこと。
ご夫婦間の、子供を持つことに対する気持ちに微妙な温度差があるそうなのです。
私(50代子無し夫婦)は人生の先輩??
Aさんは、私たち夫婦に以前から興味を持っていたそうです。子供がいなくて夫婦2人とも仕事を持っているという私たちのライフスタイルを、自分たちカップルの将来に重ねて見ていたのだといいます。
先日Aさんとおしゃべりするうち、色々と質問されました。
少し突っ込んだ話になりましたが、私自身にとっても自分たちのライフスタイルや結婚に対する価値観を客観視する機会になったので、その時のことをまとめておこうと思いました。 ?
結婚当初、子供の優先順位は高くなかった?
全く子供を産む気がないというAさんとは違って、結婚当初は出産に対する気持ちはもっと曖昧なものでした。
子供を可愛いとは思っていましたが熱望はしておらず、子供を持つとしてもそれは遠い将来のことだとぼんやりと思っていました。
仕事が楽しく、仕事なしの生活は考えられませんでしたから、結婚を機に、出産や子育てに備えて会社を辞めようとは思いませんでした。
夫も、私が専業主婦になるとは思っていませんでしたし、そうなって欲しいという希望もなかったと思います。
私たちは日常生活を共に過ごし、ひいては人生を共に歩みたいというシンプルな気持ちで結婚しました。子供を持つことについては、話題に上ることもありましたが、夫婦2人ともが「絶対にないとは言えないけれど、あったとしてもいつかそのうち。」という認識でした。
私たち2人の結婚生活において当初から、子供を共に育てるということがさほど優先順位が高くはなかったということだと思います。
結婚してからの変化
しかし、主婦業とフルタイムの会社勤めは予想より大変で、体調を崩した私は退社することになります。
今にしてみると、我ながら随分あっさりと辞めたものだな。と思いますが、ちょうど仕事も一区切りついたところで、自分の仕事に対する考え方も変わってきた頃でした。
私自身は、専業主婦になりたいわけではありませんでしたが、体が大事だし、まあ仕方ないな。体をよくしてから次のステージに進もう。と思っての判断でした。
当時は世の中に「専業主婦」というものが今よりもたくさんいたのです。収入の面はご主人に任せて、ご主人のサポートに回っている友人がいたので、劣等感や不安感を感じず、夫からのプレッシャーすらも一切ありませんでした。
子どもが欲しいと考えはじめた30代
30代になって初めて専業主婦になった私は、やっと子供のことを考えるようになりました。
元より「産まない」と決断しているわけでもなかったので、子供がいてもいいかもしれない。と思うゆとりができたのだと思います。
さらに、高齢出産が増えているとはいえ、30代後半にもなると、タイムリミットが迫っているのも実感し始めました。
ぼんやりと先延ばしにしてきたことを、決断する時が来たのです。
?出産のタイムリミット
私が退職した頃から、夫も子供のことを話題にするようになりました。
私たちは、先々のことであまり細かなプランを立てるのを好まないのですが、出産のこととなるとそうも言っていられません。私たちもこの時ばかりはよく話し合いました。
結局「子供のいる生活をしよう。」と決断したわけですが、実際には簡単には妊娠しませんでした。
そんなわけで、30代の後半は不妊治療に励みました。
今では、私の職業になっているヨガを始めたのもこの頃です。少しでも健康な母体を作りたいと思ってヨガスタジオに通うようになったのです。?
しかし、数年の不妊治療の介もなく、40代になっても妊娠の兆しがなかったので、治療は中断することになります。
不妊治療は肉体面だけでなく、精神的にも大きな負担があることは、体験した方ならわかると思います。
毎月妊娠していないことが分かると、その落胆は激しいものでした。
夫婦2人で臨む治療なので、2人一緒に精神的なダメージを受けてしまい、その度に立ち直るのも大変なのです。20代の頃は、恋愛の果にSEXをする事もありますが不妊治療中の性交渉や受精治療は異質なものです。
やがて、不妊治療を休んで、ヨガのレッスンに没頭するうち心身ともに健康を取り戻して、さらに何年かかって、子どもを諦める結論に至りました。
子どもを「産めない」私
子ども以外に没頭出来るものを見つけて、やっと妊娠にはこだわらなくなりました。
夫も落胆しているのが分かりましたが、私を傷つけないよう、また彼自身も子供のいない生活をポジティブに認識しようと模索しているのがわかりました。
現在「産まない」「産めない」という言い回しをよく聞きますが、こうして振り返ると、私の場合は、結婚当初は仕事が楽しくて「産まない」という選択をし、30代後半になって不妊治療を体験した後は物理的に「産めない」という流れになったのだと思います。
子どもを「産まない」Aさん
一方、Aさんは元より産む気がない。と言いますが、それには社会的な背景が大きいようです。
私が勤めていた頃よりは、制度改革が実施されてサポートもあるはずですが、それでも子供を育てながら会社勤めをするのは、実際には難しい面も多いようです。
ご主人の収入だけで家計をまかなうのは難しく、またそれができたとしても、雇用の実態が不安定な現在の状況では不安が先に立つと言います。
「産める時に産んだほうが…」という言葉も安易な気がします。自分を否定したくないという気持ちがあったかもしれませんが、それよりもAさんが考える(子どものいない夫婦としての)先輩として後悔を感じさせたくなかったのだと思います。?
2人の生活に満たされる感覚
聞きづらいことなのか、あまり話題にはなりませんが、今では子供がいなくても特に寂しいとは思いません。
不妊治療中は、赤ちゃんや小さい子供を見るたびに、早く自分も。とワクワクしては焦り、動揺したものです。
今は子供を挟んで歩く若いご家族を見ても、微笑ましいな。とは思いますがそれだけです。
治療に取り組み断念した体験が、夫と私の絆を強くしてくれたと感じていますから、寂しさを感じないのかもしれません。
不妊治療をする前もそれなりに仲は良かったですが、それまでは二人ともお互いの自由を束縛しないことを第一に生活してきたようなところがありました。
しかし治療を断念した後、再び2人だけで幸せに生活して行けるよう、夫は私を見守り支えてくれました。
?子はかすがい。と昔から言われるように、子供がいると夫婦の仲を上手く保ってくれるのでしょうけれど、それがなければ2人でなんとかしなくてはなりません。
ですから自然と、2人の仲を良く、新鮮に保っていこうとポジティヴに考えて行けるように思います。
Aさんは、私にとっての夫の事を「恋人の延長なのか友達の延長なのか」と私に尋ねるのですが、恋人であり、人生の同志であり、かけがえのない存在なのです。
「パートナー」というのは曖昧な言い方かもしれませんが「パートナー」としか言いようがありません。最も長く、深く、苦楽を共にした人は他にいません。
多分、子供のいないご夫婦は多かれ少なかれそんな気持ちでいるのではないかと思います。
趣味よりも生き方を分かち合うように
?Aさんは趣味についても私に尋ねました。彼女とご主人はまだ30代で友達同士のような関係なのだそうですが、結婚後は少し感じが変わったといいます。
ご主人と共通の趣味があれば、子どもがいない生活も新鮮さを保つことができると思ったのだといいます。
経験がないからわかりませんが、子供がいれば、子供の受験や進学、学校生活、将来は子供の結婚。と子供の成長に従ってライフステージが自動的に変わって行きますから、その流れに乗って日常生活を送るのが定石なのだと思います。子供のいるカップルにとっては「父親母親」という役割を担って生きる時間が、人生の大半を占める二人の共通項なのでしょう。
ですから、そういうライフスタイルを望まない彼女が、結婚生活の中で趣味を通じて、ご主人と楽しさや喜びを分かち合いたいという気持ちは理解できます。
そう考えると、趣味とは子供のいない夫婦にとってかなり重要な要素なのかもしれません。
?というのも、私たち夫婦には趣味を通じてコミュニケーションを図っているという実感がないのです。私の趣味であったヨガは現在は仕事になっています。夫にしても、デザインの仕事は彼にとって、言ってみれば一番の趣味のようなもので、それが仕事になっているわけなのです。
ですから私たちの場合は、趣味を介してのコミュニケーションはあまりなく、それぞれが趣味に没頭しているというイメージかもしれません。
?敢えて共通の趣味でコミュニケーションをとるということはしていないわけですが、それでも私はいいと感じています。
お互いの生き方そのものに共感を抱いている。と言ったら少し美化しすぎかもしれませんが、基本的にはそういう気持ちなのです。
Aさんは会社員なので、趣味とは仕事のストレスを解消できる息抜きなのだそうです。
彼女がヨガのレッスンを受けるのも、仕事とは別世界のヨガに集中することで、仕事の疲れをリセットするためだといいます。2人でスタジオに通えたら良いかもしれませんが、残念ながらご主人はヨガには興味を示してくれないそうなのです。
Aさん自身の身になって考えれば、Aさんは「子どもを産まないけども、妻として認めてもらえるか不安」なのかもしれません。女としての使命感か、結婚に関わる無言の圧力なのかもしれません。
家庭内の男女差
Aさんは、家庭内の「性差」についても尋ねました。
彼女は結婚していざ日常生活が始まってみると、ご主人が意外と保守的で、亭主関白な面があることを知ったといいます。そして、まだその点について納得がいっていないというか、ご主人を受け入れることができていないそうです。
Aさんは、ご主人自身が末っ子で母親に溺愛されて育ったから、なんでも世話をしてもらうことが当たり前と思っているのが原因と言います。
?私たち夫婦は2人とも、Aさんカップルより年齢的にかなり上ですから、男性はキッチンに入らないもの。と思っている割合が男女問わず多い世代だと思います。
ありがたいことに、我が家の場合は夫の母が「将来結婚しても奥さんがいなくては何もできないようではいけない」という考えの持ち主で(彼女自身が仕事を持っているからか)、夫が小さいころから、大雑把にではあったと思いますが、料理や掃除をはじめとする家事の全体像を教えてくれていたそうです。
そのおかげか夫は、特に料理上手というわけではありませんが、自然にキッチンに入って料理のサポートをしてくれます。あくまでも「手伝い」という立場ではありますが。
その他の掃除や片付け、洗濯、アイロンがけなどなどに関しても、家事全般の流れのようなものを把握しているので、特に頼まなくても私がとりこぼして出来ていない部分を、自然とフォローしてくれます。
ですから我が家の場合は、家事は分担しているのではなく、私がメインで家事を担当しているけれど、ちょうどいい具合にフォローしてくれるアシスタントがいる。といったイメージがぴったりかもしれません。
私の仕事は朝に始まることが少なくて、午後からのレッスン、あとは仕事帰りの人が受講する夜のレッスンが多いので、家事は午前中に済ませておくというスタイルが定着しています。
時には夫の方が帰りが早いこともあります。そういう時は特に頼まなくても、自分で考えたメニューを一品準備してくれたりして、フォローが気持ちに余裕を作ってくれるので、嬉しいことだと思っています。
我が家のスタイルはこのような感じなので家庭内に「性差」があるかと尋ねられたら、明らかにあると言えるでしょう。
しかし、外での労働時間は夫の方がはるかに長いのでそれが自然だと思いますし、私は家庭内で、女性的な仕事を受け持っていることに情緒的に安心感を持っています。
夫に料理を作って、おいしいと感謝の言葉をもらったりすることで女性的な喜びを感じています。おそらく私が家事のメインを担うことで、夫と私がそれぞれに男性的女性的な役割を演じるように、暗黙のうちに自分たちを仕向けているところがあるのだと思います。
それが私たちの間では、お互いの価値を確認する方法というか仕組みのひとつになっているのでしょう。
いまどきの男性は家事ができて当たり前。お料理ができた方がモテるといいますし、結婚したら2人で働いて、家事は平等に分担するのが理想というのはよく分かります。
私も実際に、夫が全く家事を理解しなくて、手伝ってくれなかったらやっていけないと思います。
でも、場合によってはあえて「妻らしい」ことをするのが楽しかったり、安心したりするのです。仮に仕事の忙しさや収入がピッタリ同じだったとしても、自分が女であることを確認するように、「妻らしい」振る舞いをすると思います。
?老後のこと
Aさんは子供のいない将来については不安もあるそうです。
老後についてどう考えているのかと聞かれたのですが、これに関しては、私も正直なところ不安もあります。
しかし現時点では特に決め事はしていませんし、2人の間での話し合いも十分ではありません。
不安は多少あるのですが、しかし、2人とも今は仕事に集中したいという点で一致しており、考えるゆとりがないのが実情です。
また、私たちのような自営業の仕事には、お勤めの方のようなはっきりした定年のようなものがないので、引退、老後という概念があまりないのも大きな理由だと思います。子どもがいないからなのか、子どもが保育園・学校・就職・成人などの関わる節目では無く、地続きで仕事に没頭する日々が続いているのも影響していると思います。
それから、幸い私たちの両親は健在で、まだそういった事柄に直面していないから。という事情も大きく影響していると思います。友人の中にはすでにご両親のサポートに奔走している人もあるので、人ごとではありませんが、なんとなく避けて通っているというのが実際のところです。
最後に
後日、夫にAさんから相談を受けた事を話したら
「僕もヨガやってみようか?」と冗談を言われました。少し老後が不安です。