家事分担をテーマに、2人の子どもを育てた高橋さん(50代男性)に過去の体験談を記事としてお書き頂きました。家事と育児は密接に関わる事なので、参考にして頂ければ幸いです。
Contents
長女の自立心は保育園児の時に生まれた
長女の由里香は、妻の看護師復帰と同時に保育園に行くことになりました。2歳半の時になります。
毎日私が保育園まで連れて行きました。 保育園に通い始めた長女(2歳半)と長男(1歳半)は、これがまた大変でありました。それは2人とも大泣きをしたからです。それまで育児のために妻が家にいたためでしょうか。
「急にママがいなくなった」のです。
これは共稼ぎ夫婦だから仕方ないことです。私は子供たちが保育園に慣れるのを待ちました。それを解決に導いてくれたのが2歳半の長女です。 保育園に通い始めてから10日ほどのことです。
「パパ、今日から由香里、保育園でもう泣かないから、お仕事頑張って!」
それは妻が当直で家にいない日でありました。 私は長女のその言葉に心底驚きました。 その瞬間、長女の強い性格は妻の遺伝子を引き継いでいると思いました。
さらにもう一つ長女に驚かされたことがあります。 それは1歳半の長男が長女の顔を見ているだけで泣かなくなったのです。 何か長女には不思議なパワーが備わっていたのです。
そして翌日
「パパ、ターくんも大丈夫だよ」
長女は笑顔で長男といっしょに保育園の中へと消えていきました。その夜、私が妻にこの話しを報告しました。妻は、「私たちの子供でしょ」 妻は軽く受け流していましが、当直で疲れた妻の顔が一瞬穏やかになりました。
それから妻は自分の遺伝子を受け継いているのだと言いたかったのでしょう。 妻は寝ている長女を優しい目で眺めていました。 長女は2歳半で自立心が芽生えたのです。 普通の子供より親といっしょにいる時間が少ないことを察したのでしょう。 そしてこれから始まるサバイバルのよう生活を、長女は予想をしていたのです。
長女の第二次反抗期は家事デビュー
子供の成長とは驚くほど早いものです。 長女が小学校に入学した次の年には長男が入学、 そして妻も私も仕事に追われる年齢になりました。 そのため、学校行事にはお互いの両親が代わりに行くようになりました。
当時、長女と長男は学校の裏にある学童に行っていました。小学校の頃から家族がまとまって食卓を囲む事が少ない家庭だからこそ、ある事件が起きたのです。
長女が10歳・長男が9歳の時、事件は妻が病院から家に戻って来た時に発生しました。
長女の由香里がキッチンでカレーを作っていたのです。 それも火を使っていました。 油を使って豚肉を炒めていたのです。
「何をやっているの由香里、火事になったらどうするの」
妻は鬼のような形相で長女を叱ったのです。 「いつもパパとママが遅いから、ターくんが可愛そうだから」 長女は泣きそうな顔をして妻に言い訳をしたのです。
「何を言い訳しているの、由香里、火は勝手に使わないと言ってあるでしょ」
「ママが働いているからいけなの、由香里が料理を作るから!」
長女は妻に鋭い目で睨み返したのです。
「由香里、ママに反抗する気なの、2度とこんなことはしないで分かった、ママは忙しいの、あっちに行きなさい」
「わたしはもう子供じゃない!ママなんか大嫌い」
長女は大粒の涙を瞳に溜め頬を赤く染め大泣きをしたのです。
それから長女は自分の部屋に入り鍵を閉めて出てきませんでした。 その後妻が部屋の鍵を開けるように説得をしたが、長女は泣き続け反抗をしたのです。
「ママなんか嫌い、大嫌い」
「いいから、ここを開けなさい、ママの言うことを聞きなさい」
妻と長女の戦いは意地の張り合いになりました。 その日、長女は夕食も取らずに部屋に籠っていたのです。
「由香里、なんでママに反抗しているの!」
私が帰宅した時、妻は長女の部屋の前で怒鳴り声を上げている頃でした。玄関を空けた瞬間の緊迫感は今でも忘れません。
私は長女と妻の間で何が起きたのか、この時は分からなかったのです。 でも長女と妻の間に火花が散っていたのだけは理解できました。そして妻は私の顔を見るなり長女の部屋の前で泣きはじめたのです。この状況では妻からも長女からも何も聞き出せないのです。 仕方がなく私はリビングでテレビの前にいる長男に訊ねてみました。
「お姉ちゃんとママが急に喧嘩をしていたよ。ぼくは知らない」
長男に訊いた私が間違えでありました。再び私は長女の部屋に向かいました。 そこで妻から真相を聞くことが出来ました。
私は妻をリビングに行かせ長女を説得しました。
長女が私を部屋に入れてくれたのは、それから30分ほど経ってからです。長女は目の周りを赤く染めていました。 暫くの間、私は長女の話しを聞きました。長女は長男に寂しい思いをさせたくなかったと私に教えてくれました。それは長女自身がずっと寂しい思いをしてきたからと本音を言ってくれたのです。
それから私は長女と妻の3人で話し合いました。しかし妻は長女のことを許すことをしないのです。これには私も困り果てました。2人に歩み寄りがないのです。長女は料理をする事で長男に寂しい思いをさせたくない、共稼ぎをしている両親の手伝いをするのだと譲らないのです。妻は小学3年の子供に火を使うことはよくないと言い譲らないのです。途中から再び長女が妻を睨みながら無視をしたのです。
私は妻に、”長女の優しい気持ちを大切にさせよう”と提案をしたのです。
芯の通った女性ですから、妻は結局自分の意見を譲ることができず、義母に相談することにしました。
元看護師の義母はこの状況を解決させるため、その日に我が家に来ることになりました。実家が30分圏内にあることが良かったのです。
義母は妻を叱りました。
「尚美、あなたは由香里ちゃんと同じ頃からわたしが料理をさせたでしょ。何で由香里ちゃんを信じることができないの」
元婦長は怖いのです。
妻が義母に言い返そうとしたが止めさせました。
「じいちゃんが暇だから毎日来させるわ。良い運動になるから、いいわね!尚美」
妻も恐れる義母の命令です。妻は従うことになりました。
この結果、妻と私は長女の自己管理を信じることで事件が決着したのです。 このとき長女は妻へ反抗することによって家事デビューをすることが出来たのです。 それから毎日義父が我が家に来ました。 そして1年後に妻が長女を信じることになり、義父が来ることが少なくなったのです。 長女は家事の腕をどんどん磨いていったのです。
長女に教育される長男
長女は長男の母親代わりのようになっていました。
知ってか知らずか、長女は妻以上に長男を甘やかすことをしなかったのです。 そして長女が小学5年生になった頃から自主性に欠けている長男に家事を手伝わせていったのです。実は長男は、長女の手伝いをしたかったようでした。
長男は私と違い手先が器用だったため、家事の上達が早かったのです。
この結果我が家は全員で家事が出来るようになりました。
妻と私が揃ってお休みの日は4人でキッチンで料理をすることになりました。嬉しい話ですが、キッチンが狭くなったのです。そのため我が家のキッチンは長女と長男のために改築をすることになりました。そして我が家はオープンキッチンへ様変わりしたのです。 あれだけ子供が火を使うことに反対していた妻は子供たちの成長に嬉しく思うようになったのです。
我が家は常にだれかが掃除をして、だれかが洗濯をして、だれかが料理をして、と家事一家になったのです。それから長男は家電が大好きになり週末に大型の電気屋へ行くようになりました。 かなり無駄遣いをする家事一家になりました。時々我が家を訪れる義母はこの変貌振りを覗きながら長女の由香里を褒めました。
「由香里ちゃんがこの家のヒーローだね。本当に賢い孫になりました。バーバーは幸せ」
と言われた長女は義母に感謝をしながら、常に義父への感謝を忘れないのです。 それは1年も我が家に来てくれたからです。
家事をしながら受験をした長女のパワー
長女が小学6年生になって直ぐのことです。 妻と私の休みが重なった日に長女がお願いがあると言い出しました。
「パパママ、由香里、中学受験がしたい。国立の中学以外は受験しないからお願いします。今まで通りに家事もするから、お願いします」
妻と私は顔を見合わせ、その場で賛成をしました。
どうやら妻は長女の自主性に感動をしたようです。
「家事はママとパパ、それにターくんがするから勉強をしなさい。でも受験まで1年もないのに大丈夫なの由香里、塾に行ってもいいのよ」
「わたし、将来したいことが決まったから」
こう長女が喋った後に将来の夢について妻と私は訊きました。
「それは内緒。夢が叶ったらパパとママに教えるから」
この時私は長女の夢に気づいていました。 たぶん妻も分かっていたと思います。
それから中学受験に向かった長女は凄かったのです。 長女は家事に手抜きをしないのです。 妻と長男に私が心配するほど勉強と家事の両立をしたのです。 長女は塾から家に戻り勉強をする時間は1時間しか取らないのです そして凄い集中力で勉強をしていました。 その後長女は茗荷谷駅にある中学に合格したのです。長女が塾に入った時の偏差値は60ぐらいでしたから驚きです。 以前より漫画が大好きな長女は集中力が凄かったのです。この集中力は家事の合間に好きなことをするため、長女の本能が働いたのであろうと思います。 好きなことをする時の人の集中力は凄いものだと妻と私は長女に教えて貰ったです。
そして、時が経ち、長女が正式に看護師の国家試験に合格したとき、私は長女の内緒にしていた将来の夢を聞くことになります。
「わたし、小学3年生の時からママより優秀な看護師になりたいと思ったの」
弁当と長女
中学に合格した時に長女は私だけに打ち明けた事がありました。
「わたし、ママのことは大好きだよ。女性としても尊敬している。でも小学3年生のときにママと喧嘩をして、他の子のママのように子供に過保護なママに気づいた。それが悔しかった。私のママだけはみんなのママと違って欲しかった。だからママに負けたくなかった」
このとき私は妻と北岳に登頂し長女を授かったことに感謝をしました。 私は長女の純粋な心に涙を流しました。 でもこの性格は妻である先輩にそっくりだと恐怖も感じました。 そして長女の中学と高校生活は始まりました。
お嬢様学校の中にいる長女は学校で苦労をしたと思います。
毎朝のように自分のお弁当を作っていました。 でもここは他のママと違う妻を誇りに思っていたのです。 今、共稼ぎしている部下から相談を受ける度に
「君の家は子供に甘い、自主性を育てることが大切だ」
と声高々にアドバイスをするが、出来ない部下が大半です。 明治から昭和の子供たちは学校に勉強を自ら学びに来たとだれかが言っていました。 今は子供に甘い時代なのかもしれません。平和で贅沢な暮らしが子供たちの自立心を親が潰していると、私の長女は身をもって気づかせたてくれたのです。 実際はこのような子供は共稼ぎ夫婦にしか出来ないのではないのかとも思っています。
ファミリーというチームワーク
妻の尚美は看護師を指導する立場になりました。 後輩の育成と母校の看護大学の講義をしています。
病院では鬼と呼ばれています。今の妻の誇りは看護師でも最高のファミリーを作ることが出来ること。そして講義の合間に妻が料理を始めた長女の話していると友達から聞きました。
あまり話に上がらない長男ですが、最近は中学から西日暮里の私立に通い信濃町の大学で医学を学んでいます。 長男も家事と勉強の両立をしています。
我が家族は、家に居続ける限り、家事は家族全員でしています。
家族というチームがいつもだれかをカバーしています。 妻の尚美が私と北岳に登ったときに思っていたチームワークは家族全員にまで拡がりました。 やはり全ては長女を育てた妻の勝利だったのです。