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当ブログは家事や育児に関わる持論・価値観をご紹介しています
家事代行サービスを提供する中で、各ご家庭によって様々な価値観がありながら
発信する場が余りに少ないと感じています。他人に共感されるか否かでは無く、
それぞれの立場のそれぞれの考えをご紹介する事で新しい発見が出来ると考えています。
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そもそも私は子供のころから女の子グループが苦手でした。
女子が集まった時の雰囲気、話題、恋バナ。
一種独特の空気や価値観には溶け込めなかったので、子供を産んでからママ友グループに馴染めなかったのは当然だろうと思います。
今回は、ママ友ゼロだった私がどんな風に長い子育てを乗り切ってきたのかをお話ししましょう。
長女の妊娠を機に退職して専業主婦に
今から約30年前のことです。
結婚2年目に長女を妊娠し、仕事を継続するかどうか迷っていたところへ切迫流産(切迫流産とは流産の危険があるけれど赤ちゃんが生きている状態のこと)。
それも妊娠初期と中期に2回もあったので周りの心配もあり、私は退職することとなりました。
結婚後初めての専業主婦生活は超孤独…。
ずっと働いていたため近所づきあいもなく、かといって大きなおなかを抱えてひとりで出かける気持ちにもなれません。
夫はよくあるテレビドラマみたいに「早く生れてこないかな♪」などと言ってお腹を撫でてくれるようなタイプの人でもなく。
それどころか、仕事から帰ったらご飯を食べてお風呂に入って寝るだけです。
当時は良くも悪くもバブル時代。
夫は毎日帰りが遅く、休日も会話はほぼゼロ。
たまに仕事が早く終わっても同僚との飲み会に忙しく、帰宅は深夜。
今にして思えば恥ずかしいけれど、私は毎晩一人で泣いていました。
ママ友ゼロ時代へ突入
マタニティブルーってやつだったのでしょうか
かなり暗い感じの妊娠中でしたが、そんな毎日でも時間は過ぎて無事長女を出産。
私たちは狭いアパートから少し広い県住(といっても2DK+3畳ですが)、に引っ越しました。
しばらくして夫は転職。
新しい職場は出張が多く、1ヶ月の半分は家に帰って来ません。
これはやばいです。
話をする友達もいないのに、長女と2人きりで取り残された私。
たった一つの救いは私の両親がすぐ近くに住んでいたことです。
ベビーカーに娘を乗せて、母と娘と私の3人で毎日のように買い物や公園に出かけました。
娘を連れて母と歩いていると、同じように赤ん坊を連れたママ達のグループに出会います。
なんとなく挨拶は交すものの、彼女達から漂う空気は昔感じた女子グループと同じものでした。
「なんか嫌な予感…」
という予想通り、ママグループとはほとんど挨拶以外の会話を交わすことも無く、おばあちゃん・私・娘という発展性の無い人間関係に終始した毎日が半年近く続きます。
さすがにこれじゃイカン。
娘のためにも良くないし、何より母とは世代が違い過ぎて話が合いません。
自分自身の友達が欲しい…
と、強く願うようになりました。
グループに入れないならグループを作ろう!
当時は今のようにインターネットが発達していなかったので、私は毎月ベビーエイジなどの育児雑誌を読んでいました。
読者の投稿ページを開くと、
「ママ友グループに馴染めない…」
「毎日赤ちゃんと2人で孤独です…」
そんな悩みが毎回掲載されています。
いつもそれらを読みながら
「私と同じような人って結構いるんだ」
と思って少し安心したりしていたのですが、ある日ふと、
「グループに入れないんだったらグループを作っちゃえばいいのでは?」
と思いつきました。
元からあるグループには入りづらくても、これから作るんだったら気が楽ではないでしょうか?
そこで早速「育児グループ募集」の記事を雑誌に投稿したのです。
楽しいママが大勢集まってきた
翌月には私の投稿した募集記事が雑誌に掲載され、1週間もたたないうちに手紙が家に届きだしました。
当然ながら皆同じくらいの月齢の赤ん坊がいる人で、電車で2駅程度までの区間内に住む人ばかりです。
10人ほどの方からお手紙をいただいたと思います。
・旦那さんの転勤で遠くから引っ越してきて友達がいない方
・近くに同じ年頃の赤ん坊のあるお家が無くて、友達を探している方
・子供が7人もいて趣味の洋服づくりをしながら友達を増やしている方
・近所の人と付き合うのは面倒なので、こんなグループを探していましたという方
などなど、本当にいろんな人がいました。
私は全員に返事を出しましたが、結局集まったのは私を含めて7人。
それぞれ個性の違う人の集まりですが、共通しているのは赤ん坊がいるということと、友達が欲しいということです。
「雑誌の投稿欄を見て手紙を書くなんて暗い人の集団?」
と思う方もいるかも知れませんが、全く違います。
そういう行動を起こす人は「行動力のある明るい人たち」です。
行動力や性格の明るさを持っていても、近所のママグループに馴染めなくて孤独な日々を送っている人は意外と多いようですね。
ひとりなら仕事も始められますし、いろんなサークルに顔を出すとか、学生時代の友人に会うとか、友達を作る方法はいくらでもあります。
しかし、赤ん坊を連れているとなかなか遠くへは出歩けず、出会いも少なくなりがちです。
集まった7人のメンバーはそれぞれの生活があるのでしょっちゅう会えるわけではありませんが、母と娘と私で完結していた頃と比べると、活気のある日々が始まりました。
ノートを回覧して定期的に集まった
メンバーの方からの提案で、回覧ノートを2冊作りました。
ノートには日々の育児で感じたこと、家族内での出来事などを自由に綴り、月に2回の集会時にお茶を飲みながら皆で読みあって、次の人に回します。
7人の中には、洋裁が得意な人、お料理が得意な人、絵本の読み聞かせが得意な人などがいたので、誰か一人が先生役になってちょっとした勉強会なども開きました。
毎回全員が集まれるわけではなく2~3人の回もよくありましたが、それはそれで楽しく過ごせました。
そんな日々が続く中、私は2人目を妊娠。
あっという間に妊娠期間が終了して、長男を無事出産。
子供が2人になって家が手狭になり、同じ区内の3LDKのマンションに再び引っ越すこととなりました。
長女が2歳、長男が10ヶ月の時でした。
7人いたグループは、子供が保育所や幼稚園に入ると新しい人間関係ができてきて少しずつ人数が減ってきました。
そして長女が3歳になった頃、グループはほぼ自然消滅しました。
ごく近所に1人気の合う方がいて、その方とは長い付き合いになりましたが…
それはそれで良かったと私は思っています。
私が作ったグループは一つの役割を終えて、私たちもその時代を卒業し、次のステップへと進んでいったのです。
長女の入園。そして新しい生活
引っ越し先のマンションにもうちの子供たちと同じくらいの年齢の子供が大勢いました。
そしてそこでまた新たなママグループに出会うことになります。
最初に出会ったママグループのリーダー的存在の2人は、私が最も苦手とする体育会系女子と、やたら化粧の濃い元ヤン女子のコンビでした。
「無理無理、こんな所には入れないわ。」
と思いつつも、長女のために何回かチャレンジしてみましたが、長女自身の性格もそのグループの子供たちとは合わなかったようで、私も早々に諦めました。
長女の入園とともに世界が変わった
そんな中、長女は幼稚園の年少組に入園しました。
毎日幼稚園の送り迎えをするうちに、私にも自然と話をする相手ができてきました。
何より良かったのは、送り迎えをする場所がうちのマンションの下だったことです。
話をするようになった人たちは同じマンションの住人ばかり。
気が付いたら時々家で一緒にご飯を食べるようになっていました。
さらに、いつの間にか夫たちも仲良くなっていて、夜には数家族が一件の家に集まって飲み会をし、子供たちは雑魚寝なんてことも。
主婦は子供が小さい間は自由に遊べなくてストレスをためがちですが、同じマンションの家に集まってワイワイと楽しめたのは、本当に恵まれていました。
それは夫の存在が大きかったかも知れません。
ママ友と子供だけの集まりよりもずっと自由で、広がりのあるお付き合いができました。
ママ友がいなくて悩んでいた昔の私からは想像もできない日々でしたが、まるで昭和の長屋のような感覚でご近所ぐるみの育児ができたのは、貴重な経験だったと思っています。
長い子育てを終えて思うこと
小さな子供を持つ人にとって、ママ友は永遠のテーマです。
自分ひとりだったら友達を作ろうが作るまいが自分の気持ち一つですが、子供のためを考えると、「ママ友を作らないと!」って思いますよね。
それを負担に感じるか楽しみと感じるかはその人次第なのですが、結果的に考えると本当に良かったと思えるのです。
私ひとりだったらこんなに一生懸命友達を作ることを考えなかったかも知れませんから。
今では長女は29歳、長男は26歳。
2人とも既に家を出ましたが、同時期に一緒に子育てをした人たちとはまさに戦友。
親同士がたまに会って近況を話し合うことができるのも、いっぱい悩んで行動した、当時の私があったからこそだと思っています。