日本で食べられているバナナはほとんどがフィリピン産。

 

国内全体消費量のなんと90%以上が今やフィリピン産の「ジャイアント・キャベンディッシュ」という品種なのだそうです。

この品種はしっかりとした皮が厚く、日持ちがし、果肉はなめらかで上品な甘さがあり、メーカーによっては「スウィーティオ」や「プレシャス」、「甘熟王」などのブランド名でコンビニやスーパーマーケットで販売されているので、なじみがありますよね。中には高原バナナというブランドもあり、普通のバナナに比べると、甘さと栄養価に優れていて人気を呼んでいるそうです。

 

また産地としてはフィリピン国内のミンナダオ島がよく知られています。大手の農園がいくつもあり、この日本向けのバナナ産業で数十万人もの雇用を創出しています。

 

このようにいまや日本の食生活にはなくてはならないフィリピンバナナですが、ミンダナオのフィリピンのバナナが日本に根付くまでには長い歴史の道のりがありました。

 

 

台湾バナナが主流の時代があった?

 

日本で正式にバナナが輸入されたのは1903年(明治36年)。当時、バナナといえば小ぶりの台湾産が主流でした。

台湾バナナの主流の時代は戦後まで続きますが、50代以上の方はご存知の通り、子供の頃、バナナはとても高価で貴重な果物でした。

 

そのバナナの輸入が自由化されたのは、東京オリンピックの前年、昭和38年(1963年)。

その自由化でやがて南米エクアドル産の安いバナナが台頭。昭和45年(1970)には エクアドル産バナナの輸入量が1位になりました。

その背景には実は1970年から73年頃、台湾では深刻な台風被害があって輸入が激減した、というきっかけもあってそうです。

 

台湾バナナにとって代わったエクアドルバナナですが、地球の裏側から船便で20日ほどかかるこの南米産のバナナは長期の輸送のため品質にもムラがあり、バナナ市場には不安があったのです。

そこで急速に台頭したのがフィリピン産。

1960年頃からフィリピン南部のミンダナオ島で開発がはじまっていた日本市場向け専用農園の立ち上げが十年余りの時を経てようやく結実し、大量生産、本格輸出ができるようになり、ついには1973年には品質にムラのないフィリピン産が日本への輸出量トップに躍り出ました。

1970年には日本市場の占有率が6.5%だったフィリピンバナナが10年後の81年にはなんと日本市場の91%を席巻するに至ったのです。

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バナナは黄色じゃない?

 

ところで収穫時のバナナは固くて緑色だって知っていましたか?

この青いバナナ、フィリピンから冷蔵船で日本に着いて、港の保税倉庫で半日ほど殺虫のため薫蒸を受け、翌日に加工業者に渡り保存温度を調整し、エチレンガスで黄色く色付けされるそうです。

 

詳細をご説明すると、冷蔵されていた青いバナナは眠っている状態。まず保存庫内の温度を上げて、バナナを目覚めさせ、そこにエチレンガスを入れ2~3日間程密閉します。

これによりバナナは完全に目を覚まし、自らエチレンガスや炭酸ガスを発生し呼吸を始めます。よく、未熟のバナナとりんごをビニール袋に入れるとバナナがおいしく食べられるようになるのも、リンゴが発生させるエチレンガスの効果によるものだそうですよ。

 

目覚めたバナナは呼吸を活発に開始しますので、密閉せずに空気に触れさせてあげないと、いたみが進んでしまうそうです。

 

 

頑張れ、フィリピンバナナ!

 

熟年世代の方々は子供のころ、病気や冠婚葬祭でもない限り、食べるチャンスがなかったバナナ。

いまや甘く栄養価の高いバナナを朝食代わりにコンビニで気軽に安く一本買いできる時代になっても、なんとなくバナナを敬う気持は変わりませんよね。

 

こんなに美味しいバナナを安くいつでも食べられるのもフィリピンからの安定供給のおかげなのでしょうか?

今や日本市場でナンバーワンのこのフィリピンバナナ。

実は最近はインドネシアバナナの台頭で、その王座が将来はおびやかされることになるかもという噂も最近は聞こえてきます。

 

頑張れ!フィリピンバナナ!

 

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