皆さんこんにちは。

ピナイ家政婦サービス編集部です。

 

今年5月に行われるフィリピンの大統領選挙。

横一線と言われる多くの候補者が出揃い、今回の選挙もいよいよ本格的に白熱化してくるようです。

年率7%前後の経済成長を続けるフィリピンではありますが、多くの庶民たちが直面する貧困への対策がまずは最重要課題。

 

さて、どの候補者が次代のフィリピンを担う大統領として選ばれるのでしょうか?

 

その大統領選についてはまたもう少しあとのタイミングでお伝えするとして、今回はそんなフィリピンの建国、独立の父と呼ばれる、フィリピンを代表する偉人、ホセ・リサールについてご紹介したいと思います。

 

 

銃殺された建国の父

 

まず、このホセ・リサール。

1861年にフィリピンのカランバというところで生まれ、1896年に処刑されるまでフィリピンの建国独立運動のリーダーだった人です。

 

ホセ・リサール

 

医者であり作家であり、22ヶ国語に精通した学者でもあった彼は切手や紙幣にもその肖像が残るフィリピンの英雄、今でも処刑された12月30日は「リサールの日」として、国の祭日になっています。

 

この時期の日本はちょうど江戸時代が終わり明治維新の頃。

フィリピンも300年以上に渡る長いスペインの植民地支配のもとに置かれていましたが、その圧政に屈せず、フィリピン民族の悲劇を痛切に訴えた小説「我に触れるな」(1887)とその続編「反逆」(1891)などを発表したホセは民族独立の中心的存在として非暴力主義を貫き国を動かし活躍しました。

 

スペイン当局の激しい弾圧を受けながら1896年に国家反逆の濡れ衣の罪を着せられ、35歳で銃殺刑に処されるという悲しい運命を迎えながらも、最後まで人種や男女の平等を訴え続けました。

 

その彼の死をきっかけに民族独立派の武力闘争は激化。

1898年、米国がスペイン総督府を陥落させたことで、ついに長きに渡ったスペインのフィリピン支配に終止符が打たれることになったそうです。

 

ホセ・リサール切手

 

 

親日家ホセの日本人女性との恋

 

またこのホセ・リサールは親日家としても有名。

母方に日本人の血が流れている彼は、27歳のとき日本にも来日し、長く逗留しました。

その頃、日本語を学びながら、臼井勢似子(うすいせいこ)さんという武家の生まれの日本人女性と恋に落ちました。

周囲からは日本でぜひ開業医となればという勧めもあり、そのまま残れば、ホセには日本での何不自由ない身分と生活が約束されていたはずです。

 

しかしながら、彼は祖国の暗澹たる現状を憂い、最終的にはそのせいこさんとの恋を捨て祖国の独立をかなえるべく悲しい別れを決意し帰国、フィリピン独立の運動に身を投じます。

 

現在、その日本とフィリピンの架け橋としてホセ・リサール博士の碑が東京の日比谷公園にあるそうです。

1888年に、現在の日比谷交差点付近にあった東京ホテルに滞在したことからその場所に1961年6月19日に記念碑が生誕100年を記念して、また胸像も、1998年にフィリピン独立100周年を記念して追加され設置されています。

 

ホセリサール銅像

 

 

バランガイの精神で生きるフィリピンの人たち

 

フィリピンの人たちは、もともと気候的にも山海の食の恵みが豊富な南国に暮らす平和で争いやなどの争いを好まない民族。

「バランガイ」と呼ばれる部族たちが各地にお互いを干渉せず平和に暮らしていました。

その部族たちを無理矢理、スペインが7千余りの島々を征服し、植民地化してフィリピンという国にまとめてしまっただけなのです。

 

その後も長い植民地の時代のあと、第二次世界大戦の戦禍にもさらされて多くの悲劇がこのフィリピンでは起こりました。

しかし、いつも明るく平和なフィリピンのこの国の人たちの明るさ、そして誇り高いたくましさは、そのような悲しみを乗り越えてきました。

 

これからもホセ・リサールの精神はフィリピン国民の中にずっと生き続けていくことでしょう。

 

ピナイ家政婦サービス編集部