家族の中での家事分担の悩みは尽きることはありません。夫婦の意識の違いに悩む方も多いのでは無いでしょうか。
そこで家事分担について小学2年、1年、2歳の3児のママCさんに執筆頂きましたのでご覧ください。
目次
結婚と同時に妊娠・専業主婦
二人目の娘が2歳の頃から、子どもたちは保育園へ預け、子育てをしつつ平日は朝から夕方までパートへ出る日々を送っています。
『新婚当初は、家事分担なんて頭にもなかった』
結婚と同時に、妊娠していたので専業主婦になり、家のことは私、仕事は主人という、これもいわゆる分担といえるものができていました。
毎朝起きて、主人のお弁当を作り、見送る。
主人の出勤後に自分の体調と相談しつつその他の家事をしていました。
主人も特に何も言うことも、することもなく、それでもその頃はお腹に赤ちゃんがいるとはいえ二人だけの生活で余裕もあり、不満もありませんでした。
育児、家事、仕事、負担増で限界を感じる
赤ちゃんが生まれ、育児をしつつその合間に家事をするというのは、私の想像をはるかに超えていました。
自分の食事をとることさえままならない状況に溜まる家事、本当はきちんとこなしたいのに、赤ちゃん最優先で動いているとできなくなっていました。
それでも主人は産前の頃と生活を変えることなく、そんな主人に不満を抱くものの「一日中家にいる」「私は仕事しないで養ってもらっている」という負い目を感じてしまい不満を伝えることもできずにいました。
その後、不満を感じつつも2人目が生まれ、しばらくは専業主婦で生活をしていましたが、2人目の長女が2歳の時の子どもたちを保育園へ預けパートに出ることにしました。
しかし、私が仕事をしようと、家事も育児も待ってはくれません。
主人はというと、たまに手伝ってはくれるけど、家事も育児も主体は私でした。
今まで昼間にやっていた家事時間が丸ごとパートタイムに代わってしまったのですから、その他の時間にやり残した家事をしなければいけないのですが、子どもが成長するとともに以前よりも家事の量がはるかに増えていました。
私一人では時間が全然足りない。
不満は溜まるばかり、とうとう爆発してしまうのです。
「やっているつもりだった」という言葉に驚いた
主人に伝えました。
仕事、家事、育児、全てを私一人でするのは限界がある。
もっとあなたもやってほしい。分担してほしいと。
すると主人はどうだろう「オレも自分なりにやっているつもりだった。」と言うのです。
私が家じゅうのゴミを集めたゴミ袋を出すだけだったり、気まぐれで休日にカレーを作ったり、気まぐれで掃除をしたり、気分で子どもとちょっと遊んだり、寝かしつけと同時に寝たり、それらを主人は「自分はきちんと家事も手伝っている」と思っていたのです。
驚愕しました。
主人は子どものお手伝い並みのことで「やっているつもり」になっていたのです。
全くしない人に比べれば、多少やってくれてはいるだけマシと思えるならばそれでもいいでしょう。しかし私はそうとは思えませんでした。
なぜ、私だけがこんなにも苦労しているのか、そもそも家のことは、家族なんだから家族で手分けしてするものではないのか?悶々と不満と家事は積みあがるばかりでした。
「やってほしい」と「やっているつもり」でのすれ違い
私が不満を吐露したことにより、以前よりは多少は家事を担ってくれることは増えました。しかしそれでも私の負担はあまり減っていないように感じ、忙しさがMAXになったときや、疲れが蓄積されたときにその不満が爆発し、私がパートを始めてしばらくは夫婦の衝突が増えていました。
「もっと家のことをやってほしい」という私と「自分なりにやっている」という主人
「やってほしい」と「やっているつもり」というお互いの認識の誤差が夫婦の衝突を増長させていました。
私も主人もあいまいな「やってほしい」「やっている」を言い合っているだけの無駄な時間が過ぎるだけでした。
そんなやり取りを幾度となく繰り返していて、我に返ったのです。
「あれ、私。やってほしいって、何をどうやってほしいのだろう?」
いつも「もっと家事を手伝ってほしい」「もっと家のことを考えてほしい」と言うばかりで、具体案は出していなことに気づきました。
主人もまた「やっているつもり」というばかりで、何をどれだけ、どういう風にやっているかという具体性のある返答がなかったのです。
曖昧なただの言い合いは何も生み出さないことにここでやっと気づきました。
言葉にする、声をかける
私は自分に問いかけました。
「何がそんなに不満なのか。主人にどうなってほしいのか。」
そこで行きついた結果が「自分時間の確保」でした。
平日は朝からバタバタして、保育園へ送るとそのまま仕事、仕事から帰るとすぐに迎えに行き帰宅しても休むことなく夕食づくりなどの家事をします。そして子どもと一緒に入浴やその他の家事になると子どもを寝かしつける時間になり、そのまま一緒に寝てしまう。という日々を毎日送っていると、私の中で徐々にストレスが溜まっていっていることに気づきました。
そうか、私は自分がホッと一息つける自分だけの時間が必要な人間なのだ。
それを捻出するには、主人の協力は必要不可欠で、そしてまた完璧な家事を求めないことでもありました。
その時ふと気づきました。
主人はその場でお願いしたことに文句を言ったり、嫌な顔をしたりしたことがないことに。
それならばと思い、いっそのことやって欲しいことがあるときに具体的に言葉で言うことにしました。
「夕食の食器洗うから、子どもたち寝かしてくれる?」
「朝ごはん作るから、洗濯物干してくれる?」
「もう私は疲れ果てているので洗濯物を畳んでください」
主人は伝えたことは基本快く受けてくれました。
おかげで私の、私だけの時間を捻出することもできるようになりました。
なんだ、思った以上に簡単なことだったんだなとケンカばかりして、どんよりと重い空気を漂わせていた頃にもっと早く気づけばよかった。
『家事は妻のものだけではないという認識も一緒に』
私が少し言葉で伝えるだけで、私の家事の負担や不満はみるみる減少していきました。
本音を言えば「言われなくてもやってよ」「察して動いてよ」ですが、そうやって不満を溜めてモンモンとしているよりズバッと伝えてサッとやってくれた方が私の性分にも、主人の性分にもあっていたのでしょう。
特にどちらかが不満を抱えているという状況は今のところありません。
それでも平日の家事の負担は私の方が断然に大きいです。
主人の仕事は朝早く出勤して、夜遅く帰宅するので仕方がないことというのもわかります。
なので、私にも完璧を求めないことにしました。
洗濯物が多少溜まっていても、夕飯のおかずがお惣菜ばかりになっても
「まぁ、私も疲れてるんだからしゃーないな!」と自分を労わることにしました。
そしてそれと同時に、きちんとやれているときはあえて主人に
「こんなにおいしいご飯をあなたのために作りました!」や
「洗濯物を畳んであげたよ」
「今日は頑張って掃除したんだよ」など
わざと伝えるようにしました。
そうすることによって
『家事は妻が当たり前にするものじゃない』
という認識がついてくれるかなという願いを込めて。
そしてまた、主人に「ありがとう」
と言われて満足感を得るためにも
反省点と主人の意識
何度も家事育児に対して主人と衝突してきましたが、私にもいくつか反省点がありました。
- ストレスが溜まってから爆発してしまったこと
- 感情的に曖昧な伝え方をしてしまった
- ひとりで抱え込んでしまった
主人もまた私が普段何も言わないから、「無理なくできている」と思っていたのかもしれません。
だから普段している手伝いで事足りていると考えて、私がいきなり爆発しても「自分はやっているのに」と言っていたのかもしれません。
それに加え、私が具体的に何をどういう風に「やってほしい」のかということを伝えなかったために、やりようがわからず、「やっているつもりなのに何をすればいいんだろう」と感じていたのかもしれません。
当事者意識と自主性
SNSで見る子育て中の主婦の愚痴によく「それくらい夫も察してやってほしい」「なんでいっぱいいっぱいになっているコチラが更に夫が協力できるように教育しなきゃいけないの」というものがあります。
確かにそれも一理あります。
前述にもあるように、「本音を言えば察して動いて欲しい」という気持ちはとってもあります。
でもその気持ちを抱きつつ待つというのは私には向いていなかったようで、そして主人は「察して動く」ということが苦手だったので、このようなやり方になりました。
このやり方にして数年たちますが、主人は結婚当初では考えられないくらい家事を自主的にしてくれるようになりました。
自分が「家事の当事者」になることで、やるべきことが徐々にわかってきたのでしょうか。
お互いに家事のやり方が違ったりもしますが、それに口は出さないようにしています。
自分で考えて、やり遂げて、達成感を味わったほうがいいですし、途中で横からダメ出しされるなんて、私だって嫌ですもの。
子どもにも言えることですが「自主性をはぐくむ」ってところです。